きうるのスクラップブック
そして日本人はスペック不足だと叩くのであった
郵政民営化のときは過疎地の郵便局が廃止されたらお年寄りが困るとかさんざん大騒ぎしたのに、インターネット販売の方は過疎地の方が困ってもぜんぜんOKと言うわけです。
もう、政治家が言ってることやってることと言うのはめちゃくちゃですね。
Pixivに投稿した自分の絵を保護したい場合は、イラストに手書きのサインをつけるといいよ。 こうすれば、コンテストとかに勝手に使われても元の名前を表示しないと(したら当然落ちるよね)「氏名表示権」の侵害になるし、サインを消したり改変すれば「同一性保持権」の侵害になるよ。
ジハイドロジェンモノオキサイド
化学物質名で、DHMOの危険性を訴えろということですね。
ゲーム業界に長居するつもりの自分は、ちゃんと手入れすれば毎シーズン収穫できる畑を焼き尽くされた思いが強い。
「隣の芝が青いって?よし火をつけろ」
こういう奴らに見えてしまう。

サッカーで、あるチームが全員手でボールを使い出してたらどうするか。
審判がハンドを宣言しないなら、負けない為には同じ手で対抗するしかなくなる。
しかしそれはもうサッカーじゃない。

ホントにもう青臭い感情が沸いてしょーが無かったよ。

商売なので稼ぐために手を尽くすのは当たり前だ。
しかし「老人に羽毛フトン売るのはどこから商売として許されないか」みたいな微妙な問題は、常にもっとピリピリしているべきじゃないのか。

実際のところは隣接商売なので。
悪し様には言えない。それはパチンコだってそう。多くのゲーム屋はパチンコの液晶や移植で食いつないだりした。
この辺に対する文句は常に自分に跳ね返ってくる。
業が深いので参る。

まず最初に言っておかなくてはいけないのは、「表現の自由は媒体を問わず尊重されなくてはならない」という大原則です。小説ならOK、漫画だとダメ、映画ならOK、ゲームだとダメということはそもそも間違いです。そこから考えましょう。


それから、『有害コミック』については興味もないし、むしろなくなってほしいとお考えの方にも、もう少し考えて頂きたいと思います。これは最近話題の、同性間の婚姻を巡るスピーチと同じロジックで考えることが可能です。「あなたにとって必要のない権利でも、切実にそれを求める人がいる」。


次の視点。一例として石原都知事は「ナボコフならいい。表現も綺麗なところがあるし」という発言をしました。ずいぶん前の筒井康隆の断筆宣言のときに浅田彰は「筒井のような二流の作家がタブーなき言語の聖域などというな」と発言。逆に小林よしのりは「筒井さんは何を書いてもいい」と擁護。


私はこの三者の発言のどれにも賛同しません。嘆かわしい思考水準だと思います。芸術的力量という曖昧な物差しをそれぞれに当てて、「この表現は自由」「これはなし」と決めることはできないのです。一流の作家ならOKという前提そのものが間違っています。


演劇の分野でもいろいろなことが起こりました。シュニツラーの『輪舞』、ヴェデキント『春のめざめ』など、二十年近くまともに上演されなかった戯曲があります。後年正当に評価された幾つかの名作の影には、知られずに消えていった作品が山のようにあるということです。もちろん作家も。


日本で起こった悲劇は、徳川幕府が女性の演じる歌舞伎を全て禁止してしまったことでしょう。国が乱れる、と幕府が感じるほどに大人気だった芸能がどんなものだったのか、我々はもう知ることができません。損害を被ったのは女性の歌舞伎役者たちだけではなく、数百年後の我々全員でもあるのです。


さて。ドストエフスキーの『悪霊』は50年ものあいだ、完全版の出版が叶いませんでした。少女を陵辱する場面があったからです。コミック規制を主張する人は、『悪霊』を十九世紀版に戻せ、ともいうべきです。やっていることは当時のロシアの役人と同じだということを、少なくとも自覚すべきです。


一流の小説家ならいいが無名の漫画家はだめだ、というロジックが通用しないのは、述べたとおり。媒体の性質や作者のレベルをもって、表現の自由に差をつけることは誰にもできないという原則を何度でも確認する必要がある。


唐沢なをき『電脳なをさん』の722号を見てみよう。ヒトラー似のへんなおじさんが「きんもーっ」の大号令のもと、都条例改正による表現規制を推進していく。ここで「きんもーっ」が出てくるのは正しい。青少年を守ろうといいながら、実は自分が気持ち悪がってるだけだろ、という批判だ。


「自分が気持ち悪いだけじゃないの?」という指摘をしたのは、私の知る限り唐沢なをきただ一人だ。そしてこれは実のところ、正鵠を得た重要な指摘なのではないだろうか。「気持ち悪い」→「一掃したい」→「(後付け)青少年にもきっと有害だよね!」というロジックで規制論が起こるのではないか?


だから、「実際の性犯罪を誘発しているか」の議論が無視されてしまう。「気持ち悪い」「青少年に悪影響を与えないはずがない」のほうが彼らにとって百万倍も大事だから。しかし、そこで立ち止まらなくてはならないのだ。本当に「有害」なのか。有害と無害の境界線を引くことはできるのか。


表現そのものに「有害性」はない、という内田樹氏の明確な指摘も参照されたい。 http://t.co/KkIrEW0W


チョムスキーのいうとおり、ヴォルテールは「自分にはヘドがでそうな思想であってもその表現の自由は徹底的に擁護する」と述べた。200年も前のことだ。不快で、広い共感を得られにくい表現こそを守っていくことが必要なのだ。青少年保護を楯に自分の清潔感を守ることをしてはいけない。


児童ポルノの単純所持禁止、についても疑問提示。例えば、全裸の少年少女たちが登場する寺山修司の短編映画をビデオで所持していたら逮捕されたりするんでしょうか? されないとしたら根拠はなんでしょう? 芸術作品とポルノ作品とは誰が区別してくれるのか。

最近のテレビドラマでは、「犯人がバイクで逃走する際にも、きちんとヘルメットをかぶっている」のだそうだ(出典:『テレビは余命7年』指南役・大和書房)。なんとなれば、視聴者は抗議の電話をかけてくるかもしれず、あるいはスポンサーが苦情をいうかもしれず、だったら当たり障りのないように、事前にカドを取っておこうとするのであろう。しかるに、その手の予定調和を増やせば増やすほど、番組はつまらなくなっていく。

――ペットショップでペットを買えないのであれば、ペットを欲しい
人はどうすればいいのでしょうか?

保坂ブリーダーから譲り受ける。本来、ブリーダーっていうのは、
金儲けのためじゃなくて動物を愛していて、その種類を繁栄させたり、
守ったりするためにすることだから。

動物っていうのは、よく知らないところで通りすがりに手に入れるも
のじゃなくて、きちんとした知り合いのツテを頼って、信用のおける人
から譲り受けるようなものだよ。だって馬はそうでしょう?

こんなに無秩序にペットが売り買いされるのは「先進国で日本だけ」
みたいな言われ方がされるんだけど、この言い方、いつも聞くよね。
「高等教育にこんなに援助がないのは先進国で日本だけ」「若者の死因
のトップが自殺なのは先進国で日本だけ」って、そんなに「先進国で日
本だけ」ばかりで、日本はいったい何が先進国なんだって。GNPが高
いだけじゃん。それ以外、何の先進国でもない。

このあいだ新聞の折り込みチラシで入ってたんだけど、渋谷に大きな
ペットショップができて、そこは1年間「生命保証」があるっていうん
だよ。

「生命保証」かよ!って。家電じゃあるまいし。買って1年の間にその
犬が死んじゃったらまた新しい犬をくれるっていうことなんだろうけど、
そういうのを何とも思わないで買うっていうのはどうかしてる。ってい
うか、何も考えてない。そんな人に売るべきじゃない。でも買う資格の
ない人にまで買わせるのがこの社会だから。

937 :名無しさん@十周年:2009/06/06(土) 04:09:56 ID:1AsHrx/80
民主狂っとる。こんな奴候補にするなんてw

■民主党公認候補 矢崎公二(やざき こうじ)(衆議院/新人/長野県4区)

元毎日新聞記者
民主党長野県第4区総支部長
変態新聞騒動の原因となった悪名高い『WaiWai』コラムを担当した東京本社デジタルメディア局プロデューサー

拡散よろしくです。

1クリックすれば虚構とわかる

からだ。まぁ知らない人が1度くらい騙されるのはいい。でも、「1クリック」を惜しまなければ、騙されることなんて皆無だ。なぜなら、タイトルにはしっかり「虚構新聞」と書かれているからだ。それにまぁ、記事読めば虚構だってわかる。わからない奴は多分何を読んでもわからない。

http://www.tumblr.com/new/quote

メディアを面白くなくさせる奴等